おとならしい

22歳になった。

大人になってたまるかよと思ってた頃から2年経って、その時と大きくは変わってないけど確実に変わってる。仕事での動き方とか考え方とか。

「大人」らしくなってきたと思う。2年目。

 

あの頃の焦りとか突き抜けていたい気持ち、やわやわしていて鋭利なギラついた感性は奥の奥の方へ溶けてしまっていて、最近はかなり丸い。多分。ロジカルな考え方をするようになったと思う。

 

これ書いてる頻度が格段に落ちたのが何よりの証拠だろう。多分。

 

感性が丸くなってしまった分、なんというか 色んなことに鈍くなって、受け入れて見逃すようになった気がする。形容し難い気持ちが自分の内側からふつふつぐわぐわと込み上げてくる感覚を久しく感じていない。

つまらない大人ってやつかも。まだ早計か?2年しか経ってない。

2年しか経ってない間に尖りを丸められてしまったのかも。焦りを感じる。じわじわと。

焦ってる。焦ってるけど どこかどうにかなると思っていて、凪いでいる。

大人の落ち着きってやつか?なるほど。

現実逃避か

 

大人になってきている。なりきれない。なりきれてない。

まだ十分な余白はあるけど確実に大人に染まってきていて、なんか 何者なんだ、私は?

 

尖りを捕らえられた気がする。

まだいける

ワンチャンワンチャンワンチャンワンチャン

綺麗な言葉がならべられているのを見ると私も綺麗な言葉を並べたくなる。

私が綺麗だと思う言葉は、手が届くところにあるけれど見失ってしまうような、ありふれた中で希少価値というか、見つけられたらレア みたいな言葉なんですが、なかなか見つけられずに、言葉には表せずに、ぐう と押し出し絞り出すように最適解を出そうとしてる。歯磨き粉のチューブの残りをワンチャン狙って祈りを込めて出す感じ。

 

色々考えて、書こうと、外に出すのを後回しにするうちに忘れていって やっと書こうとした頃には忘れる。

昨日の今頃の私も頭の中で言葉や思考がぐるぐる巡っていたはずなのに思い出せない。何を考えていましたか?覚えてる?教えてくれヤ

 

ワンチャンにワンチャンしてさらにワンチャンするのを繰り返しているから、その時に賭ける事に賭けて、それを賭けられることに賭けている。賭け足りてますか?これって。

 

ああなんかもう言葉出てこないかもとスマホを伏せて寝ようとすると頭に言葉が浮かんできて、てか絵描きたくね?いやでも寝たいし…になる。

この時間に絵を描いて載せても誰も見る人はいないし、それはこの文だってそうで、だからこそ何も期待しなくていいし期待できないから気が楽で良い。

ただ 見て、ああ好きだなあとか嫌だ、何だかわからないとか、共感とか そんな感想を持たれるところには立ってたい。だって かいたんだし。

私が好きで勝手にやってる事だとしても、それぐらい求めるのは許されたい。

 

私だけ人に見られるのをスキップされる事が多いと思いながら生きてきてるから、なんか いいだろ。これもまたワンチャンで延命している

 

いろんな中身が反発し合ってて、見られなくてもいい と絶対に見られたいが同じベクトルで同じところにいて、自分だけが好きでいい と、自分以外も好きがいいも同じベクトルで同じところに居る。

プラマイゼロのようで傾き、捻れ歪んでいる。

 

もういいか?

今日こそワンチャンちょっと早く寝れると思って、結局いつも通り時間オーバーして寝る。

話をしようか

ある程度酔っ払うと人とメチャクチャ喋りたくなる。

人と話すのは得意じゃないんですが、話すことは好きというか 人といるのが割と好きなので、人といたくなる。

親しい人と集まったら帰りたくなくなるし、電話は切りたくないし。

 

最近の休みはほぼずっと寝てて、起きてドラマを一気見してある程度観たらちょっと寝て、起きてまたドラマを観るのを繰り返してる。

風呂入る前に筋トレするのが日課になった。

クソ暑い真夏なのにお湯に浸かって、外にいる時よりも汗を流してる。

健康的にぐうたらしてる。

 

好きな言葉に触れると触発されて言葉をしたためたくなって、ああ出てこないな また今度ににするか。したためたいんだけどな、を繰り返してたら多分何ヶ月か経ってた。

ゆーて1ヶ月半ぐらいか?

 

仕事の日の朝はバナナを食べてる。

バナナと飲むヨーグルト

事前に決めて用意していた方が駅で何買うか迷う事ないし、迷ってる間に食欲なくなることも無くて良い。めっちゃ快適!!

気分じゃなくても、持ってきてれば諦めがつく。

食べないとダメになるしな…と思って、腹を括って食べてる。

朝食への気合い?

 

1週間は長いようで短くて、1ヶ月はもっと短い。

曜日の関係ない生活してるから日付で考えてるけど、ゆーて今日が何日なのかもあんまり把握してない。

今日がいつなのかわからずに日々生活していて、気がついたら月の折り返し過ぎてるな いつも。

 

毎日の記憶はあんまりありませんが、日々健康に生きてる。

それでいいよなあ いいか?いいと思いたい。

ラブをどう?

最近、人と親しくなろうキャンペーンをしてる。

何をしているかというと、積極的に人と関わったり好意を伝えたりしてる。

 

人に好かれたい気持ちは常々山々あるけどそんなに好かれないから、自分から好いてみようと思った。

打算的で大変申し訳ないが、ギブアンドテイクの下心と思惑を持って。

 

常に己への陰口の幻聴を聞きながら生きてるから、なんか お守りのような気持ちが欲しかった。

人を好いてみたら案外それは嘘じゃないのかもと思える気がしたし、実際 どんな人にも好きだと思うところはあると気づいた。好いてみて。

人からの好意もきっと嘘じゃなくて実は、案外、意外と本当なのかもな。

その可能性を感じられるぐらいの発見があった。

 

どんな気持ちも伝えなきゃ伝わらなくて、その受け入れ態勢を示すのも伝えることが必要らしい。多分。アピールをしないと。

 

非常に面倒で難儀すぎる。

 

己が好き勝手気持ちをたくさん伝えて、相手の気分を害すかもしれないとかメチャクチャ杞憂するのに体力なり気力なりゴリゴリ削られるのに、求めていた返しが来るとは限らない。最悪のガチャすぎるな

クソ クソーーーーー!!!!!

 

あれ?こんなはずじゃなかったのに、!!!?!?人に気持ちを伝えたり距離を縮めるためのリスクとコストがかかりすぎる。つり合わない。

 

もっと何も考えないで、ただただ好きだと思った事とか自分が良いと思った物事、気になった事を軽い気持ちで投げたい。

届くんじゃね?と思った距離のゴミ箱にティッシュ投げるぐらいの。

 

いつだって私のゴミ箱窓ドアあとなんか入り口になりそうなところ全部開いてるし。

万全の受け入れ態勢を示して、私は半分ぐらいノールックで気持ちを投げたい。なんか、それぐらいラフに

炭鉱採掘

すごく好きな言葉を綴る人がいて、なんとかして私も自分の言葉を見せて交われないかと思ったんだけど、そんな勇気なくてただただ特に好きだった言葉を頭の中で何回もリプレイして好きを募らせてる。

己のこの辺の随筆というのは、自分の人となりをある程度知っている人には知られたくないんだけども、それを見せてでも交わりたいと思った。

てか、随筆からお近づきになりたい、なあ。

この人の言葉をもっと知りたいと思って、自分の言葉と会わせてみたいと思った。

 

鋭く光るものに惹かれるから、ちょっと鋭利な表現をするところがすごく気に入ったし、かと思えば気取らない言葉を綴るところも好きだった。

考えて考えたこねくり回した言葉よりも、心の中に落ちてきやすいのは、ただ出すだけ出したみたいなシンプルな言葉の方だったりする、と思ってる。

 

シンプルイズザベストと分かっていながらも、カッコつけずにはいられない。

気取ってる私が結構好きだし、気取った気分が好きだ。

 

考えられてないような単語の集まりを、実は熟考に熟考を重ねて洗練されきった状態でしれっと出す。これが一番かっこいいだろ。そりゃさ、

そんなんほど何言ってるのかわかんないんだけども。

知らない道を知ったかぶりしてズンズン進むから迷子になる。

己問答

己という一人称をインターネットでよく使う。というか、ほぼこれ。たまに現実でも出そうになる。

 

普段は「私」なんですが、「私」は文面にした時に硬い雰囲気があるし、かといって「わたし」は自分のキャラじゃない。

「己」もなんだか古風だし硬い雰囲気はあるけど、馴染みのなさによる違和感がなんだか間抜けというか面白くて中和されてる気がするし、自"己"の"己"

なので、すごく自分を指している感じがして、しっくりくる。

 

「己は」「己の」「己が」 しっくりくる。

私よりもちょっとだけフカンで、どこか他人目線で話してる感じ。

自分自身だけど自分から一歩離れていて、問答してる感じがする。

 

きっとちょっと作り話の中っぽい表現だからなんだろうな、心臓をドンドン叩いて、どうなんだよ?って聞いた後に出てくる言葉みたいな。確かめが入る。

いやそんなん常に考えてるわけじゃないんだけれども。

 

お前いけんの?いけるよな、いけないことない、いけるか?本当に?いくしかない。いくか。

これが己の考え。

 

こんな重みはない。ある、事も、ある。

 

理由を考えて書いてるけど、しっくりくるような来ないような感じがして書ききらない。

 

とにかくしっくり来て、結構好きなんだよな

 

おうおう

おう過去の私。良い日本語書くじゃん。

 

気持ちはグラグラだけど筆が冴えてんな。

 

その時何をどう思って随筆したためたのかなんて覚えてないけど、今より言葉が好きだな。光って見える。

 

去年だとか一昨年に比べりゃかなり気持ちは安定してる。今の環境にも慣れたからか。

楽しいが多い年だったからか。

でも言葉は鈍ってんなあ、なあーー?

 

見えていた気持ちの映像が見えなくなったし、感覚も鈍くなった。それはある意味ストレスが減って良い、健康だ。健やかで安らかだ。前に比べりゃ全然な。でもなんか鈍ってんな。!!

 

光れ、点灯 見えるか?

あんまり見たくもないし感じたくもないけど、恋しさがあるよな。

 

思考捨てたい思考をやめたいと常思考しているのが最近の私なわけなんですが、考えるな感じろとはこの事か

 

物事に触れると考えて考えて考えて、行き着く先って何もしたくねえな

 

消灯。

反射光でどうにかなんないかこれ

ならないか。