下手の横好きで生きてる
生きるのが上手な人に憧れる。そんな人はいないんだろうけど。
自分の信じる気持ち認める気持ち好きな気持ちを優先して生きてれば、楽なんだろうなあと思う。これは だらけとかじゃなくて、スムーズさとか自分の負担的な意味で。
こんなん書いてないで内の内に溜め込んでおいた方が、人から嫌がられる面見せずに済むんだろうなあ、ずっとワイワイ囲まれていられんだろうなあとか思ったけど、パンクしてしまうんだよな。
内面をさらせばさらすほど周囲の人たちが淘汰されていく。
ふるいをかけながらインターネッツに生きていて、エスエヌエスしてる。
自分友達いないと思ってたけど、実際の友達って案外いたんだなって最近思った。帰りの電車を待ってる時に、友達から電話がかかってきてそう思った。ゲームのお誘いだった。
何年も一緒にいる友達の一人だけど、彼らに随筆の文面を読まれたら距離を置かれるんだろうなあとか、漠然と思ってる。
一生見つけられたくないし、こんな面を見せたくもない。
長く続く親しい人間関係には、内面をさらけ出すよりも隠す部分があった方がいい、らしい。
これは、ふるいにかけないという選択肢。
自壊が見えた。
場所を分けてふるいにかけるのが自分には合っていて、そうしないとやってらんないんだろうなあ
まったくもって生き辛い。生きるのが下手。
嫌になっちまうよなあ、でも嫌いになれないんだよな。
自分にも、他の人にも、生きづらさを見つけると愛おしくなってしまう。
なんかなあ、良いよなあ。理由はわからないけど、惹かれる。
好きとは言わないけど。言葉が重いから
「この人が好き」関係がある人には絶対に言えないと思ってしまうな。
絶対に関係を持てない人にしか言えない。
好きと言った瞬間、どこか遠くにピリオドが打たれると思ってる。
終わりは見たくないよなあ。嫌だと言えるぐらいが健全だと思ってしまうなあ。そして、嫌が好きになってしまうな。
なんの話?